大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(ツ)117号 判決 1963年2月14日

上告人 神山二郎

被上告人 宮沢マキ 外二名

主文

原判決を破毀する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人は「原判決を全部破毀し、さらに相当な」判決を求め、被上告人等代理人は「本件上告を棄却する」との判決を求めた。

上告代理人は、上告の理由として、別紙上告理由書記載のとおり主張した。

民法第六百十二条は、賃貸借契約は対人的な信頼関係を基礎とするものであつて、賃借物を使用収益することは人によつて相違があり、殊に家屋の賃貸借では、借家人によつては家屋の損傷の程度に差異の生ずることは免れ難いところであるから、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸については賃貸人の承諾を必要とし、賃借人が無断で、第三者に賃借物を使用収益せしめそれによつて、賃貸人が相当の不利益を蒙るものと認められる場合には、賃貸人は契約を解除することができるものとして、賃貸人を保護しているのである。従つて、賃借人がその家族や従属的関係にある使用人等を賃借家屋に同居させることは賃借物の使用収益状態において、特に大きな差異を生じないものであるし賃貸人に対し、予測しない不利益を生ぜしめるものではないから、同条にいう転貸借に該当しないものと解せられるのである。

原判決の判示によれば、原審は下記のような事実を確定している。すなわち、本件家屋の賃借人である被上告人宮沢マキは、昭和三十一年当時六十一、二歳の老齢であり、多少目も悪く、独りで自らの生活を維持して行くだけの能力を失うようになつていたが、その弟である被上告人宮沢梅吉とその子である同宮沢和夫及び訴外宮沢義徳のほかに頼るべき近い親族がなかつたので、当時大船市に居住していた被上告人梅吉に懇請し、相談の結果昭和三十一年二月十日頃に被上告人宮沢和夫を、同年九月四日頃に被上告人宮沢梅吉を、同年十一月頃に宮沢義徳を各その家族とともに、それぞれ本件家屋に同居させ、被上告人宮沢梅吉の仕事であるクリスマス電球製造の手伝をしながら、同人等に扶養してもらい、共同生活をするに至つた。原審は右の事実に基いて、被上告人宮沢マキは扶養を必要とする状態におかれ、弟である被上告人宮沢梅吉が一番近い親族として、被上告人宮沢マキを扶養する義務があるものであるから、右のような賃借人を含む生活共同体の各員が賃借家屋を使用収益することは、賃貸借契約上有する使用収益権能の一内容に過ぎず、賃借人の使用収益権能から独立した用益関係ではないから、転貸ではなく、従つて上告人が被上告人宮沢マキに対してなした無断転貸を理由とする賃貸借契約解除の意思表示は無効であると判断している。しかし、原判決の認定しているように、被上告人宮沢マキが要扶養者であつて、その弟で法律上の扶養義務である被上告人宮沢梅吉と扶養の方法について協議が整い、被上告人梅吉は被上告人マキの賃借する本件家屋に同居して同人を扶養することになり、被上告人マキと共同生活をするに至つたものであるとしても、後段判示のような諸事情をも斟酌して判断しないと、右のような親族間の扶養のために共同生活を営むということ自体が当然に賃借人の有する使用収益権の範囲内で転貸に該当しないとは軽々に解することができない。すなわち、被上告人マキが被上告人梅吉及び被上告人和夫等の家族に本件家屋の使用収益をなさしめたことが、賃貸人に解除権を生ぜしめる転貸に該当するか、どうかを判断するについては、上段判示のように、上記事情のほかに、さらに本件家屋の使用収益の状況について変動があつたか、どうかをも判断しなければならないのに、原審はこの点について、ことに被上告人梅吉同和夫等が引き移る以前における被上告人マキの本件家屋の使用状況についてはなにも判断していない。そればかりではなく、被上告人マキが老齢で、多少目も悪く、独立の生活能力を有しなくなつたものであること及び被上告人梅吉夫妻、その子である被上告人和夫並びに宮沢義徳の各夫妻は大船市の住居を引き払つて、本件家屋に同居したもので、右同居後被上告人梅吉は本件家屋においてクリスマス電球の製造に従事し、被上告人マキはその手伝をしていたに過ぎないものであることは、原判決の確定しているところである。右の事実関係からすれば、他に特段の事情が認められないかぎり、上記被上告人等の同居後においては、本件家屋の使用収益の主体が変更され、被上告人マキと被上告人梅吉とは本件家屋の使用収益については主従の関係を転倒するに至つたもので、転貸或は賃借権の譲渡があつたものと解するを相当とする。

そうだとすれば、原審が上記の点及び右特段の事情の存否についてなにも審理判断することなく、被上告人マキが上記被上告人等を本件家屋に同居させたことは、賃借人である被上告人マキの使用収益権能の範囲内に属する行為で、転貸ではないと即断したのは、民法第六百十二条の解釈適用を誤り、且つ、審理不尽の結果理由不備の違法があるものといわなければならない。右違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は全部破毀を免れない。

よつて、本件上告は理由があるから、民事訴訟法第四百七条第一項により、原判決を全部破毀し、本件を原裁判所に差戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 杉山孝)

別紙 上告理由書

第一点法律を誤つて解釈適用した違法について

原審は、扶養義務者の地位に在る者が、他に独立して生活を維持しておる場合であつても、扶養を要する賃借人方に同居して生活共同体を構成するに至る場合には、全て家屋の転貸に該当しないと判断しておるが、この判断は民法第六一二条の解釈を誤つておることは明白である。その理由は次の通りである。

一、転貸に該当しない場合

家屋を賃貸した当時、賃借人の子供等にして、他の場所で独立の生活をしている場合であつたとしても、いずれそのうちには賃借人方に同居するに至ることが賃貸当時に予知出来る様な場合に於ては、右予知された事実が実現したとしても、これは転貸に該当しない。これが実例を示せば、家屋を賃借していた当時は賃借人である父母と同居していたその子供(妻帯の有無を問わない。)が、その後、勤務の都合で他の場所で生活していたのに、何等かの都合(子供が元場所にさらに転勤するに至つた場合、或いは、そうでなくとも父母を扶養するために職を辞して同居するに至つた場合等。)で父母と同居するに至つた場合の如きが、その一例である。

二、転貸に該当する場合

本件の場合は、まさに転貸の好事例というべきである。およそ人間である限り民法で定める扶養義務者の存在することを通例とし、その然らざる場合は極めて稀少であろう。

扶養義務者であるからとの理由をもつて賃借人方に同居して、貸借人を扶養するすべての場合が、必ずしも転貸に当らないと断ずるのは早計であろう。家屋の賃借人が家屋を賃借した当時、少くとも賃貸人に予想出来る範囲の扶養義務者である場合は別としても、本件の場合の如く、被上告人宮沢マキは本件家屋を昭和九年四月一二日に賃借して現在に至るまで、これに居住し、その間、未だかつて同居生活をしたことのない弟の被上告人を同三一年九月四日頃同人の子供和夫を同年二月一〇日頃、訴外宮沢義徳を同年一一月頃にそれぞれ居住せしめておるが、果してかかる事実が本件の家屋を賃貸した当時に賃貸人に予想されていたと言えるであろうか。このことは社会通念上から見ても否定されなければならないことは当然すぎる程当然と言うべきである。

以上の如くに分別判断することなく、原審は安易にも生活共同体を構成するに至つたと説示するのみで、共同体を構成するに至るまでに、他に扶養義務を果す方法(一定額の金員を各扶養義務者が出し合つて扶養するとか又は扶養義務者の中の一人の者が引き取つて、その他の扶養義務者にそれぞれ一定額の金員を提供せしめる等。)があり、しかも、その方法が賃貸借人間の対人的信頼関係を保持する上から見ても条理にかなうところであるから、かかる見地に立つて法を解釈しなかつた原判決は直ちに破棄さるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例